農水省統計情報センターの数字で、バブル崩壊時の1993年の産出額を100とすると、長野県の平成13年の産出額はその69.2%で減少率は47都道府県中6番目(H12・13/H2・3では72.1%で8番目)で極めて大きい。また、同期の産出額の減少額は1038億円で、茨城に次ぎ2番目の多さで、著しく後退している。
一方、減少率が低く、産出額が維持されている筆頭は北海道で92.7%、次いで福岡の91.3%、奈良の90.9%で、80%以上の県は16県に上る(H12・13/H2・3では北海道、奈良で93.6%、次いで京都の90.3%、愛知の89.7%、80%以上の県は20県)。
バブル崩壊の影響を受け易い、難いの作目構成や流通消費分野・層の違いによる相違は否定できない。花のような嗜好品でしかも最高品質の高値販売をしていた産地や農家の単価低下による販売額低下は著しかったのを見てきている。反面、施策や制度に載った作目では単価の低下度は低かった。
しかし、例えば花きの産出額が大きい県同士で、総産出額の減少率が比較的小さい愛知県(85.8%、H12・13/H2・3では89.7%)や福岡県(91.3%、H12・13/H2・3では88.9%)と減少率の大きい長野県を比較した時、花き産出額の伸び率のみを見ると長野県のH13/H2・3比82%に対し、愛知県の同126.5%、福岡県の同111%と必ずしも嗜好品品目のためとは言いがたい面がある。
また、部門開始に関する改良資金の貸付件数は47都道府県中10位と多いにかかわらず産出額の減少率は大きく相関せず、産出額に資金利用が反映しておらず機能していないことが分かる。
したがって、本県の場合むしろ構造的面からの、なぜ効果が上がらないかの視点を検証して見る必要がある。
長野県は地域営農システムの推進を平成8年から本格化したが、それ以前の助走期間も含め、すでに、集落には担い手が無くなっている中で、園芸品目で残っていた担い手が地域の耕種作目維持の担い手として位置付けられ、本業をおろそかにせざるを得ない立場の中で経営発展の芽を摘んでしまったり、停滞を起こしたりしたことはなかったか?。
また、集落全体で考え行動するという論点の強調が個の経営の停滞に繋がったり、関係者を含めたどんぐりの背比べの発想で新しい品目開発、産業化に有効な提案がなく、誘導も出来なかったと言うことはなかったか?。
一方、指導側はどうであったか、一般行政と普及、試験研究、農業大学校の人事交流はお互いの立場を理解でき、効果的な展開が出来るという、交流の良い面を期待したはずが、一般行政のポスト確保に活用され、専門性が薄れ、技術力が低下し、プロパーが育たなかったという結果を招いていなかったか?。
それがまた農業大学校等における農業後継者の育成力の低下や現地での普及活動力の低下に繋がっていなかったか?。
さらにプロパーが育たなかったために新たな産業を提案し、産地や作目を育てる産業化力を失ってしまった。と言う結果を招き、悪循環に陥ってしまったのではないのか?。
I県の専業農家が後継者の育成は大学よりも農業大学校に信頼を置き、試験研究者が大学校に異動し、託された後継者に自分の技術を反映させたいと希望する循環とはまったくかけ離れている。
世の動きと農家の個を尊重支援すべき農政が偏重誘導により長野県農業のミスマッチを招いたとまでは言わないが疑いは残る。
普及や試験研究者の技術力の低下を目の当たりにする時、著しい産出額低下の数値の語る重みを感じるのは私だけであろうか。
行政遂行の方法も、一般行政(補助・奨励事業担当者)者を現地普及センターのトップに配置し、一般行政的普及を強化しようとする動きが本年度から見られるが、普及のもつ産業化力や意欲を益々消失させるのではないかと危惧する。
当面の農政の課題は、食の安全性の強化(トレサビリティーの確立、農薬の適正使用等)や消費者重視、農業側からの農業に対する消費者への理解促進やそれに関する産業化(グリーンツーリーリズム、食農教育)、地域農業再編、高齢者対策等であることは誰もが認識している。
この課題への取り組み推進は農政に携わるものすべてが共有すべきものである。もともと普及は0予算事業であり、それらの取り組みを組織内で役割分担して実施してきている。しかしこの共有部分の著しい増大が、普及の担っている本務の産業化力を失わせる程になることは避けたい。
今春からの人事配置のように、当面の課題を推進するために普及を一般行政側に取りこみ、そのやり方に普及の活動方式を近づけたり、現場の強さを推進の手足に使おうとするかのような方向は、普及の本来の活動時間を奪い産業化力をますます後退させる事態にならないかと危惧するためである。
理想とすれば、普及を農政課的にするのではなく農政課の仕事の進め方を普及の方法に近づけるべきである。現況は、農政課職員は事業推進を市町村に依頼し、補助奨励事業による資金力により町村・農協を手段に実施をゆだね、農家の接触とは一線を画して実施してきた。普及も現地との接触時間の減少や力関係、JAの技術員削減等でJAに依存する場面を強めているが。
しかし昨今、一般行政を担う農政課は補助奨励事業自体が減少し、本来の補助奨励からソフト事業:(そういう面では普及的事業課題)にシフトしてきている。そして従来の市町村、JAを介した事業遂行は補助金減少による威光の低下や福祉等の行政需要対応異動による市町村農政担当者の減少により、うまく機能しなくなってきた。
このため、農政課の事業推進が従来から増大しつつあった普及員を使うという方法を今春のような人事配置によって強化する方法で、相変わらず農家との接点を持つという局面を画して、達成しようとする方向となりつつある。
むしろ、当面の農政課題の推進は補助奨励事業の少なくなっている農政課や土地改の部署の職員を中心に当て、普及と同じように農家との接点をもち、強化する推進方法をとるような方向が望まれる。
現場では農家は農業の行く先、方向を失い、何を作ったら良いのか、どうすればよいのかと問うているのに、また営農システム推進でも、土建業社の農業産業参入に対してもしかりで、産業化力が低下し農業技術者サイドが、地域における振興作目や作型等の提案や方向性を示せなくなっているのが実態である。
普及センターの職員自体が他業種関係等の統廃合により多様化したと同時に、仕事内容も農業の担い手の多様化や他産業との係わり合いの増大で著しく多様化し、携わる職員の意識も何が普及と言えなくなって来ている。産業を創る部門が弱体化し、一般行政(振興を含む取り巻く部門)部門のみが肥大化した状況の中ではこの事態も当然と言える。
普及を産業化のプロパーと位置付けし、例えば、せめて遊休地にはこの方法を試行して見よう、それが世界のなかの日本のなかの長野県の中の、ここでの有利性を生かせるものとの示唆・提案・協働ができるようにすることが時代に要請されている農政・普及行政の在り方と感じる。
世界的視野に立った産業化を地域にもたらす、あるいは生産性を向上させるということがあたかも、環境破壊につながり、優しくないという感じを与えるとする錯覚がある。
それはヨーロッパでも環境立国としてあるオランダの農業が、他産業と同等かそれ以上の生産性の高い農業を実現しながら、環境対策の前面に建っていることからも証明される。
産業化力に視点をおいて、普及の機能を生かすよう組織の再編成をし、普及者のグローバル化や普及の持つ産業化力という考え方を持たない若い普及者の教育をし直したりする環境づくり等による、新たな産業化促進の展開を模索する必要がある。
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