主張 普及への期待者の主張
農と考:農業の産業づくりに普及の産業化力を活かせ


普及は農業産業の創出の役割を果たしてきた。小生特技の花きの長野県内の産業品目をみてもリンドウやバラ、アルストロメリア等の当時とすれば新しい品目の導入や技術確立とそれによる産地化の、また確立された産地情報を基に普及し産地を各地に拡大したカーネーション、新テッポウユリ等、事例は枚挙に遑がない。

 これらは、先駆的農家と普及員が現場で一緒になって、考え組み立てるという過程があっての結果であり、他の作目においても同様である。

 そして、一般の振興・補助・融資行政の前段で行われるこれらの基礎づくりの積み上げ・普及教育行政が農業産出額の維持増大をもたらす源であり、企業で言えば商品・技術開発部門を担ってきたと言える。

 近年では比較的新しいアルストロメリアという長野県の上伊那から技術確立・産地化し、県内外に拡大した品目がある。産出額は長野県下20億円、全国50億円台であるが。

 この過程を先導した私の経験から、産地化にはいくつかの段階をクリヤーする必要があった。

 まず、産地化を共有して進めた先駆農家に活動を展開するまでには数年を要した準備期間があった。常に、高冷地に適する産業化品目や作型は無いのかの目を持ち、視察先のヨーロッパでアルストロメリアが新しい営利品目として導入されつつあり、著しく低温性であることを認識し、その後既存の国内資料を調べ有望性を確信し、海外情報を含めた資料の蓄積をし、展開の機会を得るまでに5年を費やしている。

 次の段階は、収集した資料の農家圃場での農家と共同した実証試験による検証、導入元との気候差からの生育相・生態の相違等の地域技術確立のための問題点把握、その解決のための課題の設定と解決活動により地域栽培体系の確立をすること。併せて収支の把握による経済性の算定検討により、地域振興品目への基礎固めを行なうことであった。

 この場合の要点はこの作物を理解し、産地化課題に信頼関係の中で共有して取り組むことのできる農家の存在や選定であった。

 次いで、関係機関技術者との振興の合意づくり、地区別リーダー確保と波及活動、JA等関係機関の持つ内部資金利用等の機能発揮による振興、新たな経営・技術課題の解決とこの自主的課題解決活動の展開と支援及びこのサイクル化であった。

 この一連の過程を数年の内に展開し、6年後には3億円産出の産地に導くことができた。

 この様式を仕組み実行する牽引役を果たすこと、キーの技術を確立することが普及でなければ果たせない役割であった。

 産地化の成否を握ったキー技術は切花の鮮度保持剤の開発であった。

 この著しい低温性植物は生育適温が低いばかりでなく、生産された切花が消費される場面でも低温を好むため、5月(当時の切花出荷最盛期)には市場出荷の輸送中に茎葉が黄化し、花弁他の花器が落下し、市場でのセリ時点で商品性を失った。

 現地先行で海のものとも山のものとも分からないと見られている品目の技術課題は試験場では研究課題として取り上げない。取り上げられたにしても解決するまでに数年を要するため、産地になる前に挫折してしまう。一刻を争う技術開発を成し遂げなければならなかった。

 問題の把握から数ヶ月のうちに、農協の技術者に試験材料を手配提供してもらい、普及センターの施設でこれまで蓄積してきた鮮度保持に関する知識を組み合わせ、試薬や自分の知識以上の情報があるのかを信州大学の先生方に相談、検証し、試験を実施し、ねらいどうりの保持剤を開発した。この技術は、技術確立のためオランダの試験場を訪問する中で得る情報から察して世界で初のものであることも確信できた。もし、鮮度保持剤が開発できず、市場関係者に結果を現物を持って示すことができていなかったら現在の産地があったか、国内に定着したかは疑問であった。

 すなわちキー技術を開発することは産地化のキーでもある。普及員にはそれだけに極めて高度な技術判断、農家との信頼関係の上に成り立つ地域技術組み立て、関係機関を含めた人をどう動かすか等の解決能力が要求される。これを普及の産業化力とすると高度なプロパーであり、エキスパートでなければできない仕事である。

2 産業の育成から遠のく普及活動

 県毎の農業産出額の伸び率をバブル崩壊と言われる平成2(1990年)、3(1991年)年を100とし、平成12(2000年)、3(2001年)年を比較すると、伸び率はいずれの都道府県も低下しているが、低下率に著しい差がある。

 普及は先駆農家や青年農業者等が新しい作物などを取り入れた経営を始めるための指導や資金利用の支援をしている。前項1の産業化力による産業化の存在を検証するために、

 農業改良資金の貸し付け件数のうち関係が深いと思われる青年農業者等育成確保資金、特定地域新部門導入資金、経営規模拡大資金の件数と農業産出額の伸び率との関係を調べて見た。

 経営を始めるための資金を借りて、産出額に反映されるまでのタイムラグを考慮して、5年前の昭和60(1985)年からバブル崩壊時までの貸し付け合計件数、崩壊後5年まで計11年(1995年)間の貸し付け合計件数と産出額の伸び率との相関を見ると、相関係数はr=0.5625で相関がみられる。

 このことは間接的ではあるが普及のもつ農業の産業化力の存在を示し、短絡的ではあるが普及活動の先駆農家や青年農業者等を介して行う産業化活動の強化が農業産出額の増大に繋がるものと思われる。

 従って、普及活動の展開は産業化を意識して、時代に沿う仕組みづくりや展開が行われる必要がある。

 翻って現在の普及の現場を見ると、多様化する対象や課題、一般行政施策の推進役的要素の増大、人員削減等により、目先の課題解決が優先され、扱う技術は広く浅くにならざるを得ず、普及者自身の技術や先見性を自己研鑽で深める時間や機会が減少している。

 また、農業者との接触も要請や事業推進以外の目的で農家訪問する時間が減少し、先駆農業者や作物の発掘、信頼関係の醸成と育成、事業以外の実証圃の設置等は困難になりつつある。プロパーが育たない環境では技術力の狭小低下は免れず、産業化力の存在すら危うい状況となりつつあるのが実態である。

3 国内の普及の産業化力を考える (1)普及員の国際化を図る必要性

 普及事業の在り方の論議が行政改革と合わせ、各県で各様に論議され、方向付けされようとしている。

 30年余普及を中心に産地育成や技術開発に携わり、渦中にいる中で、論議される事柄にいささか物足りなさを感じている側面がある。

 現在の農業の置かれた立場は、国内においては他産業に較べ生産性が劣り、産業としての農業が存続しえなくなりつつある。 一方、環境負荷の面からグローバル化そのものを視点を変えて捉え、域内流通・地産地消・高付加価値化にシフトしようとするうねりが起きてきていることに要約されよう。そして、そのうねりはグローバル化で最も問題となる生産性の課題を棚上げ、あるいは覆い隠そうとしている感を現場に与えているように感じられる。

 しかし、現実的にはグローバル化の中で農産物輸入の増大に各産地が悲鳴を上げ、野菜に代表される政府ガードの発動や対応としての機械化による生産性向上対策が実施されつつある。現行のように農業も他産業との均衡の上にある産業である限り、生産性問題は避けて通れない最大の課題であることに間違いはない。

 生産性が優等生のオランダの農業を見ると、最近のオランダ大使館農務部の情報では、2000年のパートさんの労賃は一般農業で時給37.8ギルダー・円換算で約2300円、園芸では40.4ギルダー・円換算で約2400円であり、他産業と均衡状態であるという。国内のパートさんの約2.5倍の賃金水準である。

 私の特技の花きでみれば、市場での生産物単価は大雑把にオランダでは国内の1/2であり、単純に考えると生産性は5倍内外になり、効率性の高い経営をしていることになる。

 生産性向上要因の技術水準一つをとっても、例に挙げられるトマトの10a当たり平均収量が1985年には15トンであったものが、2000年には45トンになったとされ、15年間に3倍の単位当たり収量の増加が図られている。ちなみに国内の平均収量はこの同期間にほとんどないとされ、技術の高位化は国内の比ではない。

 これら生産性の高い方式がアジアの近隣国にも導入され、日本をターゲットにした輸出産業が形成されつつあるのが現状である。

 普及事業が産業として成立する農業を人の育成を通じて行うためにあったとすれば、人づくりや技術の高位平準化の過程で何かが欠けていたと言う外はない。

 オランダの元普及員である私の友人の話によれば、オランダでは普及員さんは2回各3ヶ月の国外研修ができると聞かされていた。普及員さん自体が国際化し、オランダの農業を国際化した農業や他産業並の産業にしてきた役割を普及が果たしてきたと感じている。

翻って日本の場合はどうであっただろうか?。

 昭和50年代にアルストロメリアというヨーロッパで産業化された花の種類を国内で農家とともに導入、産地づくりを行い産業化してきた経験を踏まえ、15年余前の普及事業35周年のおりの募集論文に普及事業の国際化を訴えたが、国の段階での選には漏れた。

 当時、オランダの農業を見聞きしたとき、管内の施設園芸は20〜30年の遅れかなと感じていたが、最近はそれ以上に差が広がり、とても追いつくことは想定できなくなりつつある。と感じるのは私だけでは無いと思う。

 普及事業が産業としての農業育成を掲げるならば、担う人や携わる者の国際化を基礎に置いた投資や施策の傾斜が重要であり、この面での積み上げを意識した在り方の論議が展開される必要があると思う。

4 国内の普及の産業化力を考える (2)企業の産業化力との相違

 過日、株式会社ニチレイが富士見町に作ったラン栽培農場の開所式にお招きをいただいた。

 ランのオドントグロッサムという一つの種類に特化し、6000坪の敷地に3200坪の温室と組織培養施設等を建設したものである。

 オドントグロッサムは南米高地の原産で、イギリスに渡り、イギリスでは200年以上の品種改良の歴史がある、イギリスを代表するランでもある。かのダイアナ妃が結婚式の時持ったブーケの花材のメインに使われたのは記憶に新しい。

 小生の目にもブーケにあった、白色の品種クリスパムが目に浮かぶ。

 このランは著しく低温を好む種類で、高冷地向きの花きである。このため、この農場の立地は標高1000m以上を条件に選定したとの挨拶があった。

 小生は普及センターの花き担当として、長野県で新しい花きを産業化するという品目選定では低温性に視点を置き、50年代前半時にはアルストロメリアの導入産地化を農家とともに図った。現在では国内最大の産地として定着している。

 一方。50年代の後半にはやはりその視点から、オドントグロッサムを鉢物農家と産地化すべくヨーロッパから導入した。しかし当時、ヨーロッパではポピュラーなランであったが国内では関係者、消費者にも馴染みがなく、産地化は挫折した。時代に取り組みが早すぎた結果と受け止めている。

 以来、約20年が経ったが、この間一時もこのランから目を離すことなく、動向把握や試験研究課題としての取り組み、イギリスの育種会社他の視察をしてきた者にとって、この取り組みは快挙であると感じた。

 特に、このランが一般的に普及しなかった背景の一つに組織培養による増殖が難しく、培養に向く品種しか流通できなかった壁があったが、ニチレイではこれをクリヤーしたという点において、国内はもとより世界をも攻める武器を持ったと言える。

 農業の新しい作目なり、方式による産業化が近年、農業サイドより企業サイドで行われる。しかもそれは、農業サイドの行う地産地消等の内向き在来型でなくグローバル化に対応したものでもある。

 企業がランの一種に特化し、先導に踏み切った。これらの原動力を考えた時、農業関係者、農家や農家の集団と比較して、何が違うのかを考えさせられる。

当日、スタッフの皆さんとやりとりをして分かったのは、私が見てきたイギリスの種苗会社の話をしても、だれもが同じレベルで意見交換できることであった。

 また昨年、管内に県下初でもあるがカメラ企業(GOKOカメラKK)によるオランダ方式の大型トマト栽培が出現した。社長さんが動機を農業関連の雑誌に記述されているが、「業界における(全世界を相手にその競争力を維持するために徹底した合理化を追及する戦いをして来た)徹底した合理化努力の考え方及び手法が農産物生産の合理化手法に導入できないものか」、「新方式農作物作法」を作り上げることが目標と述べている。

 農業者を含めた農業関係者にグローバルな視点と人材が育成されない限り、農業者サイドによる、新しい農業産業はうまれにくくなっていると感じる。そういう面から普及者の国際化の推進は要を握ると思われる。

        (以上 技術と普及誌 2004‘02 Vol.141掲載)

5 農業技術者間の競争原理導入を考える (1)先進事例との落差

 オランダの友人であり、普及事業の有料化にともない個人のコンサルタントに転身した元普及員さんにプライベートコンサルタントの仕事内容、方法を彼の家に宿泊し、視察がてら見聞きした点からの考察である。

 彼はリッセ普及センターに勤務していた花き球根の専門家である。彼曰く、現在オランダの花き農家の現場指導には35名の技術者がおり、その内訳はプライベートコンサルタント10名、政府関係(普及関係技術者、試験研究関係技術者)20名、メーカー他の技術者5名であり、技術者数ではプライベートコンサルタントの数が増加しているとのこと。

 コンサルタントは花きの品目別に特化しており、キク、球根、ラン中心という。

 氏のコンサルティング方法は約50名の契約農家を持ち、農家とA41枚に年間の接触時間と契約金額を書き、それぞれが署名したコントラクトを組み、契約金は彼の口座に支払われる仕組みになっている。

 契約は一年毎の更新で経営に貢献した対象からは契約時間が増加したり、逆に貢献できなかった対象からは減らされることになる。貢献の度合いは経営に影響する品質向上効果と労働生産性向上の視点から行われ、市場単価は他の要因が大きいため主要なファクターでは無いという。

 普及が現在行っている認定農業者のステップアップ事業の活動に似た評価方法である。国内と異なっている点は、いわゆる他の指導者との間に競争原理が働いているのである。

 氏曰く、収入は減少したが時間的な余裕ができて満足している。競争原理の導入により、高度なサービス化に拍車がかかるとのこと。オランダが指導者間に競争原理を導入したことにより、そうしない国との生産性向上に差がつき、他国もそうせざるを得なくなるだろうとの見解であった。

 翻って国内の技術者間の間柄はどうであろうか。農協、普及、試験場、行政も含めた技術者間は蜜月と言える。悪く言えばそれぞれの役割分担が明確でなくなり、指導側の技術・経営なりの指導内容、見通しや方針が曖昧になり、責任がぼける、評価も曖昧になる。そして、メーカーの力は強くなっているのに疎外している。

 最も恐れるのは、関係者の情報一元化の名のもとに、多様化している情報が当事者である農業者の判断にさらされることなく伝達され、考える機会を奪い、意識改革が妨げられる側面をもつことである。一般行政も含めた技術者間には、技術は農協>普及>試験場というラインで高度であるという感覚が、仕組みに流され現場に定着している。そのため、多岐な論議が行われず、統一の名の下に決められたことのみが提供され、論議内容や判断するための多様な情報は遮断されている。判断する人を作る作用と情報の両面を阻害してきた弊害が見える。

 オランダのトマトの10アール当たり平均収量が国内の3倍になっていることを知っている農政担当者や技術者やトマト農家がどれほどいようか。園芸作物栽培の耕種法が20〜30年以上も変わっていない品目がどれほど多いことか。問うてみる必要がある。

 また、オランダでは技術の根本は変わらないが、経営に取り込み、実施する手段の耕種法は経営規模等により多様である。経営の多様さに見合う耕種法の多様さを促進し、農業者の対応力を付加促進しなければならない時代に適応できていない。

 更に、現地の技術者の活動は、農家の現場で農家と技術・経営論議をする機会や時間が少なくなっていく現況の環境下では、当面持ち込まれる単純な技術問題の解決に終始している。

 本来は先駆農家やリーダーを見つけ、それらの農家の技術レベルを計り、顕在化させたり、より高め、あるいは体系化を支援して、それらをそれらの人を介して波及する方法を取るべき過程が、農家の技術レベルを計る段階までに至らず、単純技術の問題を上位機関と考える試験場に上げ解決をする段階止まりで、農家技術の存在すら理解できない技術者が存在するまでに認識度は低下している。

 現場発の技術が顕在化しない、技術の切磋琢磨が無い時代に逆戻りしている。

 また、現場技術者は上位機関と位置付けられる試験場に対し、立場があるのと、技術があるのとを錯覚(狭く深いことと総合技術力の混同等)している。民間も含めたどこにどの位の技術情報があるか、また自身で検証もせず手っ取り早く試験場に解決を委ねる。試験研究は要請に追われ本来の研究がおろそかになる。普及の繁忙さからの弊害の悪循環がある。

 試験場職員も自身が行っている方法や判断が先進で最高のもの、あるいは立場にあるから自身の言うことが最高のものと思いがちになっている。若い試験研究者が現場でとうとうと説明した事柄が、経験豊富な農家にはどう検証され、どう反応されているかを知る由もない事態である。

 技術には歴史があるがそれが積み上げられず、新規からの繰り返しになっていることそのものの事態とそれを認識していない試験研究者を含めた技術者が多くなり、技術の進歩が見られず、効果が上がらない事態となっている。

 これらを一掃するには指導者間の競争原理導入が劇的と思われるが、農業者、技術者双方の意識程度等から見て可能性は薄い。当面は関係機関の技術者間の馴れ合いを止め、どこにはどの求めるものがあるのかを明確にするシビアーさを持ち、横並びの非効率さをなくしてゆくことが必要と思う。そのためにはそれぞれの役割の成果主義を問い、情報発信の多様化により情報の多様化を受益農家にもたらせ、判断できる農家を作ることを優先すべきであろう。

6 農業技術者間の競争原理導入を考える (2)意識醸成の時代へ

 一方、プライベートコンサルタントを必要とする農家も出現している。自分の農園のオリジナル作物や品種、技術を経営戦略にする農家の出現で、農家も植物特許や技術特許、企業秘密をもつことが先駆農家では当然のこととなってきた。この傾向は私自身も農家からこの技術は企業秘密だから話をしないと言われ認識したのが昭和50年台初めからである。

 こういう農家にとっては、普及は一面では情報を得る機関であるが、一面では普及公害と言われる情報漏洩の側面をもつ。むしろ、こういう段階になった農家にはセキュリティ面や企業秘密になる程度の技術開発を指導できる技術・情報力を持つプライベートコンサルタントの利用が適してくると考えられる。

 また、今後、オランダのように経営の多様化、規模の階層化が進むと経営による基礎技術の行使手段:応用の多様化が進むことも予想され、画一的な指導よりも経営にあった技術や生産性向上手段が求められることになり、その土俵は広がると思われる。

 しかし現況、国内では前述のような高度農家は少なく、大部分は指導はしてくれるもの、無償で受けるもの、技術や統一を技術者が扱うものといった意識をもっている。

 また、技術者そのものも高度農家に対応できないと感じている。

 自己の経営・技術を把握し、どこをどうしようという問題意識や課題を持ち、その解決方策として、どのアドバイザーを使うのが経営にとって効果的かという視点をもっているオランダの生産者とは雲泥の差である。そういう国があるのかも知らない。これは農政に携わる者、技術者の大多数にも言える。

 プライベートコンサルタントの氏との話の中で出てくることは、オランダの生産者は日本の生産者と直接情報交換をし、種苗導入等を直接やりとりできないかと相談を受けることがあると言う。かれらは自身も相手国農家もそれによるビジネスチャンスや産業化場面は著しく増大すると考えているし、実際そういうことが想定される。

 しかし、現況そういう申し出を買って出れる生産者、語学から始まる人材がどれほどいるかと考えた時、口では国際化を言うが実際にやりとりできる国際化した生産者育成の視点すら持たなかった普及を始めとする農政の盲点をつかれる思いをする。

 こんな状況の中では、そういう視点を行政が持ち、まず生産者の意識を改革することから始め、ある程度の状態までレベルアップすることが施策として必要と思われ、その役割を担えるのは普及・教育行政しか見当たらない。

 農家が国際化の基礎を得るまではそれらの養成を担いながら産業化を推進してゆく、普及の産業化力を発揮できるようにし役割を果たす必要がある。

7 普及員の産業化力の認知と育成

 普及が現場で農業者と一体となって、地域における新しい農業産業をつくり出して行く。この、普及の産業化力については「項1」にて記載したが産業化力の強化にはその上に立った育成が必要である。

 対象事象は、国内においての新しい品目や取り組みとなるような大きなものから、国内や県内にはあるがこの地域には無く、導入や産地化すれば有利性を発揮できる取組みであったり、現在ある作目の耕種方法のここを改善して飛躍的な拡大を図る等の小さな事象までを内在し、しかも作物に固執することはなく、広義のグリーンツーリズムの導入や拡大等、農業関連事象はもちろん産業化対象である。

 いずれの取り組みにもその地域の立地をしり、作目特性や方式等を熟知し、そのレベルが国外、国内、県内、管内を含めたどの位の位置にあり、どこをどう改善すればどの位の振興が予測できるかの情報を持ち、しかもそれを具現化できる力をもつ、また担い波及する、更に波及先の対象等人的資源はどうか、関係機関の連携はどうかの判断ができ、不足の場合は対応できる人材が求められる。 

 他方、昭和50年代から技術について、最近では作目、経営方式についても農家が企業秘密的部分を持つようになり、栽培特許なり種苗あるいは商標登録化と行使までにいたらないまでの事象も含め、公共性と相反する側面を持つようになってきた。

 現実的にも、現地農家との開発や実証試験では成果やデータの公表・発表に担当農家や産地、集団の圧力がかかり、最も努力し、先見性を発揮している普及員さんの苦労が日の目を見れない、場合によっては農業者のエゴにより不利益を受けることさえある。また波及できない、いわゆる公費による成果の農業者による私物化的側面も増加している。

 公共性のある産業化を目指す立場の普及とすれば、波及についての合意活動や書面による共同研究方式の導入が必要な時代となっており、これらへの対応、事例研究やマニュアルづくりが不可欠となってきた。

 関連して、普及の内部では、農業者と共に志向・試行するからリスクは共有するという考え方が基本となっているが、それらが理解されなくなりつつある中では、リスク対策も重要な課題となる。

 これらとは別に、産業化力を伸ばし、発揮させてゆくのに根本的問題がある。それは、行政組織の中では、産地化力を発揮し産地を作ってきた普及員が人事的評価をされていない、むしろ現場重視で地域、農業者に密着してきた人ほど阻害されている現実がある。

 裏腹に、産地をつくったことの無い人が普及センターの所長に配置されたり、一般行政の中でも産業づくり・振興を担う部署に当然として配置されている現実がある。

 普及における農業者と協働して産業を創出する場面と、創出されたものあるいはその芽を補助事業・融資等により振興する一般行政、また、独自に新規作物・技術等を導入開発したり、創出されたものあるいはその芽に普遍性を持たせ波及し易くする、更にそれをグレードアップさせる技術なり、品種なりを開発する試験場とは対象・方法・活動様式等が大きく異っている。

 裏腹の関係では、産業を育てる視点やノウハウの分かっていない人が先に立つため、普及員の評価が出来なかったり、普及のあり方の方向が見失われる、産業化が進まないのも当然である。

 視点が異なるから産業化力を持った普及の後継者育成ができない、産業の芽が育たない、普及の仕事内容の多様化と相まって悪循環にある。

 この解消には、一般行政の評価とは別に普及員及び普及の評価方法の確立が必要である。産業化のための課題の設定、解決手法、活動、評価の場面でそれぞれその程度をランクにより評価する制度の導入等が考えられる。

 普及は教育行政であり人の育成は計れない、意識の計測は難しい等とのいままでの普及にあった評価概念ではなく、農業者を介して行う産業化は物量で計測でき、担う農業者の経営で測る等を考える必要がある。

 一方、産業化力の構築や発揮には長期視点が必要であり、専門職化、異動年数等人事面での検討や考慮が必要である。

(以上 技術と普及誌 2004‘03 Vol.142掲載)

8 長野県の農業産出額低下と対応
  農水省統計情報センターの数字で、バブル崩壊時の1993年の産出額を100とすると、長野県の平成13年の産出額はその69.2%で減少率は47都道府県中6番目(H12・13/H2・3では72.1%で8番目)で極めて大きい。また、同期の産出額の減少額は1038億円で、茨城に次ぎ2番目の多さで、著しく後退している。

 一方、減少率が低く、産出額が維持されている筆頭は北海道で92.7%、次いで福岡の91.3%、奈良の90.9%で、80%以上の県は16県に上る(H12・13/H2・3では北海道、奈良で93.6%、次いで京都の90.3%、愛知の89.7%、80%以上の県は20県)。

 バブル崩壊の影響を受け易い、難いの作目構成や流通消費分野・層の違いによる相違は否定できない。花のような嗜好品でしかも最高品質の高値販売をしていた産地や農家の単価低下による販売額低下は著しかったのを見てきている。反面、施策や制度に載った作目では単価の低下度は低かった。

 しかし、例えば花きの産出額が大きい県同士で、総産出額の減少率が比較的小さい愛知県(85.8%、H12・13/H2・3では89.7%)や福岡県(91.3%、H12・13/H2・3では88.9%)と減少率の大きい長野県を比較した時、花き産出額の伸び率のみを見ると長野県のH13/H2・3比82%に対し、愛知県の同126.5%、福岡県の同111%と必ずしも嗜好品品目のためとは言いがたい面がある。

 また、部門開始に関する改良資金の貸付件数は47都道府県中10位と多いにかかわらず産出額の減少率は大きく相関せず、産出額に資金利用が反映しておらず機能していないことが分かる。     

 したがって、本県の場合むしろ構造的面からの、なぜ効果が上がらないかの視点を検証して見る必要がある。

 長野県は地域営農システムの推進を平成8年から本格化したが、それ以前の助走期間も含め、すでに、集落には担い手が無くなっている中で、園芸品目で残っていた担い手が地域の耕種作目維持の担い手として位置付けられ、本業をおろそかにせざるを得ない立場の中で経営発展の芽を摘んでしまったり、停滞を起こしたりしたことはなかったか?。

 また、集落全体で考え行動するという論点の強調が個の経営の停滞に繋がったり、関係者を含めたどんぐりの背比べの発想で新しい品目開発、産業化に有効な提案がなく、誘導も出来なかったと言うことはなかったか?。

 一方、指導側はどうであったか、一般行政と普及、試験研究、農業大学校の人事交流はお互いの立場を理解でき、効果的な展開が出来るという、交流の良い面を期待したはずが、一般行政のポスト確保に活用され、専門性が薄れ、技術力が低下し、プロパーが育たなかったという結果を招いていなかったか?。

 それがまた農業大学校等における農業後継者の育成力の低下や現地での普及活動力の低下に繋がっていなかったか?。

 さらにプロパーが育たなかったために新たな産業を提案し、産地や作目を育てる産業化力を失ってしまった。と言う結果を招き、悪循環に陥ってしまったのではないのか?。

 I県の専業農家が後継者の育成は大学よりも農業大学校に信頼を置き、試験研究者が大学校に異動し、託された後継者に自分の技術を反映させたいと希望する循環とはまったくかけ離れている。 

世の動きと農家の個を尊重支援すべき農政が偏重誘導により長野県農業のミスマッチを招いたとまでは言わないが疑いは残る。

 普及や試験研究者の技術力の低下を目の当たりにする時、著しい産出額低下の数値の語る重みを感じるのは私だけであろうか。

 行政遂行の方法も、一般行政(補助・奨励事業担当者)者を現地普及センターのトップに配置し、一般行政的普及を強化しようとする動きが本年度から見られるが、普及のもつ産業化力や意欲を益々消失させるのではないかと危惧する。

 当面の農政の課題は、食の安全性の強化(トレサビリティーの確立、農薬の適正使用等)や消費者重視、農業側からの農業に対する消費者への理解促進やそれに関する産業化(グリーンツーリーリズム、食農教育)、地域農業再編、高齢者対策等であることは誰もが認識している。

 この課題への取り組み推進は農政に携わるものすべてが共有すべきものである。もともと普及は0予算事業であり、それらの取り組みを組織内で役割分担して実施してきている。しかしこの共有部分の著しい増大が、普及の担っている本務の産業化力を失わせる程になることは避けたい。

 今春からの人事配置のように、当面の課題を推進するために普及を一般行政側に取りこみ、そのやり方に普及の活動方式を近づけたり、現場の強さを推進の手足に使おうとするかのような方向は、普及の本来の活動時間を奪い産業化力をますます後退させる事態にならないかと危惧するためである。

 理想とすれば、普及を農政課的にするのではなく農政課の仕事の進め方を普及の方法に近づけるべきである。現況は、農政課職員は事業推進を市町村に依頼し、補助奨励事業による資金力により町村・農協を手段に実施をゆだね、農家の接触とは一線を画して実施してきた。普及も現地との接触時間の減少や力関係、JAの技術員削減等でJAに依存する場面を強めているが。

 しかし昨今、一般行政を担う農政課は補助奨励事業自体が減少し、本来の補助奨励からソフト事業:(そういう面では普及的事業課題)にシフトしてきている。そして従来の市町村、JAを介した事業遂行は補助金減少による威光の低下や福祉等の行政需要対応異動による市町村農政担当者の減少により、うまく機能しなくなってきた。

 このため、農政課の事業推進が従来から増大しつつあった普及員を使うという方法を今春のような人事配置によって強化する方法で、相変わらず農家との接点を持つという局面を画して、達成しようとする方向となりつつある。

 むしろ、当面の農政課題の推進は補助奨励事業の少なくなっている農政課や土地改の部署の職員を中心に当て、普及と同じように農家との接点をもち、強化する推進方法をとるような方向が望まれる。

 現場では農家は農業の行く先、方向を失い、何を作ったら良いのか、どうすればよいのかと問うているのに、また営農システム推進でも、土建業社の農業産業参入に対してもしかりで、産業化力が低下し農業技術者サイドが、地域における振興作目や作型等の提案や方向性を示せなくなっているのが実態である。

 普及センターの職員自体が他業種関係等の統廃合により多様化したと同時に、仕事内容も農業の担い手の多様化や他産業との係わり合いの増大で著しく多様化し、携わる職員の意識も何が普及と言えなくなって来ている。産業を創る部門が弱体化し、一般行政(振興を含む取り巻く部門)部門のみが肥大化した状況の中ではこの事態も当然と言える。

 普及を産業化のプロパーと位置付けし、例えば、せめて遊休地にはこの方法を試行して見よう、それが世界のなかの日本のなかの長野県の中の、ここでの有利性を生かせるものとの示唆・提案・協働ができるようにすることが時代に要請されている農政・普及行政の在り方と感じる。

 世界的視野に立った産業化を地域にもたらす、あるいは生産性を向上させるということがあたかも、環境破壊につながり、優しくないという感じを与えるとする錯覚がある。

 それはヨーロッパでも環境立国としてあるオランダの農業が、他産業と同等かそれ以上の生産性の高い農業を実現しながら、環境対策の前面に建っていることからも証明される。

 産業化力に視点をおいて、普及の機能を生かすよう組織の再編成をし、普及者のグローバル化や普及の持つ産業化力という考え方を持たない若い普及者の教育をし直したりする環境づくり等による、新たな産業化促進の展開を模索する必要がある。

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